ースタッフ日記ー
Season3
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.41』2024.11.
失敗こそ宝。一勝九敗。
75歳になられるファーストリテイリングの柳井会長の言葉に励まされるとは、
いやはや思いませんでした。
いや、ちょっとした失敗がありましてね。
反省をしているところでございます。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
先日動画を見ていましたら、
大滝秀治さんの過去の演技が出てきまして、
思わず見入ってしまいました。
何か激しいシーンでもない。
語られる内容も、別段特異なことでも何でもない。
ただ、そこに実在する人にしか見えない。
こちらは、息を呑んで次のセリフを待つ、という。
自分はあまりテレビドラマを観る方ではないのですが、
これには改めて感心しました。
浜田省吾も桑田佳祐も玉置浩二も、
60近くなってからグッと味わい深くなったように感じます。
前にも書きましたが、
野球で言えば、工藤や落合も、
むしろ監督になってから好きになった。
何か若い時には、テクニックによる「どうだ」感があって、
純文学で言うところの太宰治のような、
(なんて言うとファンに怒られるかな)
志賀直哉に「とぼけたようなポーズが嫌いだ」と評された、
何か鼻につくというやつです。
劣化激しく50を過ぎて、新たなことに挑戦しようなんて、
無謀かも知れないとどこかで思っていましたが、
先人たちに励まされた次第です。
そういえば、カーネル・サンダースが
ケンタッキーフライドチキンを創業したのも、
65歳だったとか。
もう少し、頑張りますか。
(Nセンス)
-Archive-
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.40』2024.10.
暑さ寒さも彼岸まで。
皆様体調はいかがでしょうか、Nセンスです。
大谷翔平が前人未到の55-55達成なるか、という話題の一方で、
石川では震災後の復興途上に豪雨災害という、
信じ難い光景を目にしました。
現地の方が語る「絶望」。
総裁選などどうでもいい、
今こそ国の支援が必要だと感じました。
逮捕から58年が経過した袴田事件は、
ようやく無罪判決となりました。
ビートルズ来日の年だとか。
我々の生まれる前の事件を、現役の検察官らはどう捉えるのか。
厚労省元局長の村木事件も思い出しますが、
本人や家族だけでなく、
関係する多くの人の人生が巻き込まれる冤罪事件には、
何度も希望と絶望が繰り返されたことと思います。
訪問介護は報酬引き下げで、
事業所の倒産件数は過去最高。
研修問題と業務過多で、
なり手が激減しているケアマネは絶滅危惧職と言われ、
国家への不満を漏らす元気さえありません。
しかし一方で、介護職の素晴らしさに心を動かされ、
介護職を希望する若者も少なからずいる。
村木さんの言葉ではないですが、
諦めてはならないと、改めて唇を噛む日々です。
介護保険前夜にいただいた
「社会福祉基礎構造改革(中間まとめ)」
という小冊子を久しぶりに開いてみましたら、
自分なりに思うところあってか、
蛍光ペンで幾重にも線が引かれていました。
希望と絶望の混在。
思えば、人生とはそういうものかも知れません。
(Nセンス)
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.39』2024.9.
記録的なのろのろ台風に振り回されました晩夏。
皆様いかがお過ごしでしょうか、
Nセンスです。
この「忸怩たる思い」も気がつけば39回を重ね、
サンキューということで、感謝申し上げます。
先日電車内で、
宮沢賢治の「永訣の朝」など読んでおりましたら、
思わず涙が込み上げました。
疲れていると涙もろくなりますが、
いい年したおじさんが電車内で咽び泣いていたら、
さすがにドン引きですからね。
危なかったです。
当然と言えば当然かも知れませんが、
賢治の詩は、東北訛りで読むとまた格別です。
「あめゆじゆとてちてけんじや」
など、何となく意味がわかる程度でおりましたが、
いつぞや東北生まれの家内に、
そのイントネーションを訂正されたことがありました。
なるほど東北訛りで読むと、
賢治の頭の中に繰り返される、
妹トシのささやかな願いが、
いかに切実で、
また荘厳なものであるかが伝わってきます。
この夏も、数名の利用者さんとお別れしました。
自然災害や事故で、不意にも命を落とすことだってあります。
人は争いなどせずとも、誰しも必ず死が訪れるというのに、
なぜ隣国の人間をおびやかし続けることができるのでしょうか。
過去には日本も、
資源のない国が孫の世代も生きていけるように、
海を渡っていった。
その考えの先には、争いがある訳です。
武器を使わない、
私達自身を抑制する、
絶対的なルールはないものでしょうか。
8月といえば、
テレビで戦争を忘れないための特番や映画が繰り返されましたが、
それもなくなりました。
現在進行系の戦地に配慮してのことでしょう。
難しい時代になりましたね。
(Nセンス)
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.38』2024.8.
暑中お見舞申し上げます。
休日くらいは、との思いで食器洗いを手伝っておりますと、
周りに跳ねた水をちゃんと拭いておくように、
と家内に注意され、ぐっと堪えるNセンスです。
あれね、流しが低過ぎるから、
つい高い位置で洗って、水が飛ぶんですよ。
言い訳ですけどね。
さて、パリ五輪が始まりました。
ひとつ目の金メダル、柔道の角田選手には、
素晴らしい巴投げを見せてもらいました。
あの体勢から押し切る粘り、とても刺激になりました。
一方では、戦禍で子どもたちが今日も犠牲になっています。
イスラエルの首相を議会に招いて拍手する人々がいる、
アメリカという国がよく解りません。
大統領選の最中、耳を撃たれたトランプさんは無事で何よりでしたが、
予想通り民主党はハリスさんが登場し、
どのメディアも連日楽しむように報道しております。
2016年のFNS歌謡祭で、
長渕が「アメリカの大統領が誰になろうとも!」と叫んでから8年。
大国の動向はともかく、
自国の進路について考える必要があります。
介護報酬改定後、訪問介護事業所の閉鎖は続き、
デイサービスもドライバー不足などで変化を余儀なくされています。
自分たちは、在宅介護の分野で何ができるか、
粘り強く考えていきたいと思います。
巴投げ〜からの、腕ひしぎ十字固め!
(Nセンス)
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.37』2024.7.
お暑うございます。
ジャッキーチェンのTシャツを着ていましたら、
「ブルース・リーのTシャツ、格好いいですね!」と声をかけられ、
照れ笑いするしかなかったNセンスです。
先日、飲食店の前を過ぎながら、
美味しそうな鰻重の写真かと思い眺めておりましたら、
なんとそれは店内の座席の様子でした。
よほど鰻が食べたかったようで、
照明の当たったソファとテーブルが、
完全に鰻重に見えました。
不思議ですね。
さて、コロナ禍で外食する人が減少したものの、
近年は冷凍保存の技術なども進化し、
家で調理する手間も少なくなっているようです。
とは言え、やっぱり手料理が美味しい。
自分では全く調理しないため、発言する権利などありませんが、
これは今も昔も変わりません。
しかも和食ですよね。
寿司やラーメンが好きなインバウンドでも、
焼鮭と白米の、昆布の佃煮の、あるいは浅蜊と小松菜の煮浸しの、
この絶妙な美味さは分からないだろうなあ、と感慨に浸ります。
独居高齢者の食事内容を見ていますと、
たんぱく質が不足しているとか、欲を言えばいろいろありますが、
世界の食糧事情など鑑み、
自ら好きなものを食べられていることは、
実に幸せなことであると痛感するこの頃です。
この暑さに負けないよう、
皆さん、しっかり食べましょう!
(Nセンス)
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.36』2024.6.
紫陽花のきれいな季節となりましたね。
皆さんいかがお過ごしですか、Nセンスです。
先日、通りの端の木陰で、
歩行器に腰掛けて休まれている利用者さんをお見かけし、声をかけました。
陽射しが強くなってきて、
歩く速さによっては、確かに途中で休んだ方がいい訳ですが、
その時改めて、
そうかこの距離で、休まなくてはならないのかと実感しました。
よく利用者さんが「休み休み歩く」と言いますが、
信号機でもないところで休むことなどない自分も、
やがて数百メートルが歩けなくなるのだな、と想像しました。
今はネットで買物もできるし、お金もおろす必要はないですが、
自分たちの世代が歩けなくなってきた時、
それでも買物に出たり、銀行へ行ったりしようと思うだろうかと考えます。
老いてなお出歩くことで、心身の刺激にもなりますし、
老いというものを周囲に教える機会にもなります。
出歩くことで、歩行が厳しいのは自分だけではないとも理解します。
こういった経験は必要だろうと思いつつも、
自分はどうするか、あるいはどうなるか。
徘徊して保護される自分など、
いつか想像できなくなる時が来るのでしょう。
ひとつ言えることは、
他人の世話にならない人はいない、ということです。
日々、問題に対処している立場からすれば矛盾しているようですが、
多少周囲の世話になっても、
堂々と自分らしく生きていただきたいと、どこかで思っております。
(Nセンス)
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.35』2024.5.
コロナ後から慢性化した咳に、
いまだ苦しんでおりますNセンスです。
今に始まったことではありませんが、
スマホで何でも取り寄せる時代となり、
駅前から書店が消え、アパレル店が消え、
銀行が消え、コロナ禍もあって飲食店が消えました。
がらんどうのテナントに、
医療モールなどが入ってみても、空き部屋は埋まりません。
むかし映画で見たような、
廃墟の街、ゴーストタウンを彷彿とさせます。
親の世代の理屈が今に通用しないと同様に、
今の子ども世代が大人になる頃には、
今の理屈が通用しない程、
また時代は変わっていくのでしょう。
投資をするべきだと盛んに言われ、
金融村には日が昇るかも知れませんが、
詐欺が横行し、裏金づくりが横行し、
他人の稼ぎを貪る連中ばかりが活況を呈しています。
世界では、戦争により子どもや小動物が犠牲になっている。
何のためなのか、何を目指しているのか、
全く理解できません。
それでも次世代を守っていくには、どうしたらいいか。
どうやって腐らずに生きる術を身につけさせるか。
どうやって他人を思いやる心を教えるか。
親は、正面から時代を超える「生き方」を
伝えなければなりません。
そして身を持って、
何がどうあっても「人は老いる」ということを
伝えなければなりません。
先日、また田舎の親から野菜などが
食べ切れないほど届きました。
80を過ぎると、もう受け取る側のことなど配慮できず、
ただひたすらに、自らの思いをぶつけて来ます。
これも「人は老いる」という教えか、
と受け止めるこの頃、まさに忸怩たる思いです。
(Nセンス)
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.34』2024.4.
春寒の候、皆様いかがお過ごしですか。
制度改定年度の慌ただしさのなか、
度々の地震に脅かされておりますNセンスです。
先月は漫画家の鳥山明さんが旅立たれ、
その世界的な影響とともに報道されました。
単に「画力」「緻密さ」という形容でいえば、
自分などは息を呑む自然描写、
「釣りキチ三平」の矢口高雄さんが真っ先に思い浮かびますが、
やはり鳥山明さんは「ドラゴンボール」で見せた、
カンフー漫画ならではのスピード感の表現が強く記憶に残ります。
ただ何と言っても、
人気のベースには「ドラクエ」でも発揮された、
キャラクター設定のおもしろさがあったと思われます。
「Dr.スランプ」のスッパマン、ニコちゃん大王、
タバコ屋のおはるばあさん、キャラメルマンのDr.マシリトなど、
強烈すぎるキャラクター群は、まさに抱腹絶倒でした。
当時の週刊少年ジャンプといえば、
「キン肉マン キャプテン翼 北斗の拳」
という川柳のような3本柱があり、
「Dr.スランプ」が全員集合で「ばいちゃ」と終わった時は、
もうこれを超える作品はないだろうと思いましたが、
その後「ドラゴンボール」の連載が始まった時の喜びと期待は、
今でも憶えています。
鳥山さんは、あまり作品にメッセージを込めず、
それがかえって普遍性を帯びて、
子どもへの自然な愛情や、他者の受容、
自分より強者に立ち向かう勇気など、
実生活を生きるために必要なことを
随所で教えてくれたように感じられます。
キャラクター設定とは、つまり個性の追求です。
みんな違ってみんないい、
強烈な個性を認め合える、ペンギン村のような社会は、
地域福祉の理想ではないかとも思われます。
それでは、最後は大好きだったキャラクター、
Dr.マシリトの叫びで終えたいと思います。
ご存知の方はご唱和ください。
「うれしはずかしー!(ビカビカゴロゴロー!)」
(Nセンス)
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.33』2024.3.
暖冬とはいえ、
時に降雪や強風と、まるで人生のような目まぐるしい日々。
いかがお過ごしですか、Nセンスです。
某駅のアナウンス。
十数年前は、デパートのようにもっと上品な
話し方だったと思い返しますが、
今は小学校の運動会レベル。
どこもかしこも人手不足の定員割れ、
サービスの質も落ちたものですが、
少子化日本では仕方がないことなのでしょうか。
空気の乾燥のせいか、
はたまた訪問介護の報酬改定のせいか、
自然と涙が込み上げてきます。
先日、フライドポテトをディップしたケチャップが、
ハッとするほど美味しくて、
思わず家内に、これどこのケチャップ?と聞くと、
「カゴメ」だと。いやはや老舗ではないですか。
開封したばかりだからか、
トマトの旨味が凝縮されており、
すっきりと嫌味のない味で、
そのまま舐めてもおいしいと感じました。
嫌いではないものの、ただ甘酸っぱいだけで、
これまでそれほど美味しいとは思わなかったケチャップに、
自らの半生を省みました。
昔ながらのシンプルな製品に、
製造者の情熱を感じた次第です。
これだけ様々なドレッシングがあるなかで、
ケチャップとかマヨネーズとか、
定番ながら改良され続けてきたことに脱帽。
これが昭和の実力であります!
介護の仕事も、毎日の手慣れた作業ながら、
丁寧に行えているかと振り返ります。
誰にも評価されないからと、
手を抜くようでは令和レベルに陥ります。
令和の時代感覚で、昭和レベルの品質を。
何としても、
日本の介護業界を生き延びさせたいと思うこの頃です。
(Nセンス)
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.32』2024.2.
元旦からの地震の影響が、
想像以上に大きいことに驚愕しておりますNセンスです。
3日間耐えれば何とかなる、
と考えていましたら、とんでもない。
道路が破壊されると、かなり長い期間支援が入らない、
ということを目の当たりにしました。
さて、次年度の制度改定です。
今回の介護報酬は微増になりそうだと踏んでおりましたら、
なんと訪問介護は下がると知り、
思わず「嘘だろ!」と叫んでしまいました。
日本の介護オワタと、絶望する方も多いと思われます。
コロナ禍で苦しんだ日々は何だったのか…。
どうやら、欠員が出て赤字に転落した特養施設の
救済を優先するようです。
選挙演説では特養を増やす、
とどこの議員も得意気に言われておりましたが、
人材確保策をないがしろに、
建物だけ作り過ぎたのは明らかです。
そこで小池都知事は都内の介護職に補助を出し、
近県からの介護職強奪に乗り出しました。
狂気の沙汰、あっぱれあげてください!
どうも議論の中身を見てますと、
テレビでよく見かける、事故の検証で呼ばれた評論家が、
無意識に笑顔でコメントしてしまう、あれです。
当事者じゃないから、痛みが感じられない。
その中に、何とか額を下げたい輩がいて、
おかしな屁理屈を仕込んでいるのです。
マジでブチ切れ5秒前です。
何を優先すべきか分っていない。
これ以上厳しくしていたら、誰もやらなくなるという業界に、
まだ理想を掲げてくる。
ICTで楽になるのは事務作業だけ、
大変なのはそこじゃない。1ミリも分ってないですね。
かつてスウェーデンでは、ひとりの施設介護職が、
人手が不足して出来てしまった手のひら大の褥瘡写真を出して訴え、
政権交代に至ったことがありました。
日本もストライキくらいやらないと、分からないのかも知れない。
(Nセンス)
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.31』2024.1.
新年明けましておめでとうございます。
最近急に、小鳥がかわいいと思うようになりました
Nセンスです。
消えそうで消えない感染症との戦いも然りですが、
人間同士の戦争が終わりません。
国際法違反を止められないという憤りを抱えながら、
自分は温かい布団で眠ることに、
何か罪悪感さえ覚えております。
日本はどう関わっていくのか、という局面ですが、
国内では政治資金収支報告書問題に揺れている惨状です。
経済低迷のなか、
政治家も生きるために必死ということでしょうか。
物価高に苦しむ庶民感情と、
今回の報酬改定をにらむ介護業界の問題、
そして元旦から能登の地震災害と、
新年早々心が休まることもありません。
しかし、毎年不穏なニュースというものはあるもので、
メンタルとしては、あまりそこに引っ張られないようにとも考えます。
つくづく人間とは合理的、都合よく出来ているものです。
井上陽水の「傘がない」状態、問題は今日の雨、ですね。
今年も頑張っていきたいと思います。
宜しくお願い申し上げます。
(Nセンス)
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.30』2023.12.
先日、北島三郎さんの「与作」と
千昌夫さんの「望郷酒場」を
ダウンロードしましたNセンスです。
暮れになりますと、
ビールから日本酒、ラーメンから蕎麦、
ロックから演歌へと移りゆく、
典型的な昭和の人間でございます。
昨年はアニメソング界のアニキこと
水木一郎さんが旅立たれ、
「マジンガーZ」「 コンバトラーV」から、
うたのお兄さんとしての「いっぽんでもニンジン」
「ごんべさんのあかちゃん 」まで、
名曲の数々を思い出しました。
自分は「大鉄人17」のレコードを持っておりましたので、
これが個人的にはアニキの最高傑作と受け止めております。
子ども時代の幸せな記憶が蘇ります。
ところで「ごんべさんのあかちゃん」の原曲は
「JohnBrown'sBaby」というアメリカの歌で、
さらに遡れば「JohnBrown'sBody(亡骸)」という、
南北戦争で奴隷解放のために政府軍と戦って亡くなった、
ジョン・ブラウンを偲ぶ歌のようです。
いま、世界の至る地域で戦争が行われ、
あるいは有事の懸念があります。
冷戦下の均衡が崩れると、
また各々の国のためにと、
争いの世界に戻っていくのでしょうか。
喪失と絶望に泣き叫ぶ子どもたちが、
これからどんな記憶とともに大人になっていくのか。
子どもたちのために、
一日も早く戦争を止めて欲しいと願います。
今年もお世話になりました。
来年も何卒、宜しくお願い申し上げます。
(Nセンス)
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.29』2023.11.
アーバンベアの問題がニュースになるまで、
どんぐりの不作など気にしたこともなかったNセンスです。
このところ、施設でも在宅でも、サービスに空きが出ているようです。
コロナ禍で、要介護者がサービスの利用を控えている
という話題がありましたが、
それは現在サービスを利用している方の話ではなく、
これからサービスを利用しようとしている方の話なのだと気づきました。
介護業界のコロナ禍は、現在進行形ということになります。
これは何としても事業所を守らないといけないと、
頭を抱えておりましたら、ある経営者の言葉にボディブローをもらいました。
「伝統を守る。会社を守る。業界を守る。
守るという発想になった瞬間、変化に対応できなくなり、
倒産するリスクを大きくしているんです」
そうだ。ダーウィンだ。
変化に対応できるものが生き残るんだ。
確証バイアスよろしく、
今の自分に大事なヒントばかりが飛び込んできます。
勇気はもらった。
諦めてなるものか。
LIFEの加算でも跳ね上げるのか。
連携システムを義務化していくのか。
現場に軸足を置きながらも、アーバンベアさながらに、
無意味な制度改定に身構える晩秋であります。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.26』2023.8.
暑さのせいさ〜
暑さのせいさ〜
気がつくと浜省の「 八月の歌」が
頭に流れておりますNセンスです。
しかし夏って、こんなに暑かったでしょうか。
自転車に乗る時、蒸れるからとマスクを外すと、
かえって熱気を吸い込み、余計に暑い気もします。
1日に2リットル程の水分を飲んでも、
夕方にはひどい頭痛。
クーラーをつけて寝ていると、
夜中に両下肢が攣って目が覚めるという日々。
危険な暑さでも、
飛び回らなくては収益にならない在宅介護ですが、
身体が商売道具ですので、
アスリートなみの対策が必要ですね。
そんな時、
テレビで金魚掬いをする子どもの映像を見ました。
すでに穴のあいたポイの縁で、
粘り強く金魚を追う姿は、
昔の自分の姿であり、
また今の自分の姿のように感じられました。
意地になっている訳ではないけれど、
やめることができない。
暑さのせいで、
諦めることを忘れてしまっているだけかも知れない。
でも、まだ何かを信じている。
「 ゾーン」に入っている状況です。
無心たり 破れたポイで 追う金魚
身体は疲れていますので、
皆さん、睡眠を大切に。
フォービューティフルヒューマンライフ。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.27』2023.9.
「 話しかけたら 壊れそうで
ガードレールに 腰掛けてた 」
スーパームーンのニュースを見て、
思わずユーミンの「 September Blue Moon」の
軽快なサンバ調が頭に流れております、
ちょっとお洒落なNセンスです。
真夏こそ、エアコンが故障するものでありまして。
我が家は夏の前に買い替えておりましたが、
利用者宅数件で、エアコン故障のドタバタがありました。
エアコンの止まった環境で作業する電気屋さんも大変なご苦労で、
今や当たり前となった仮面ライダー的なファン付の作業着で、
汗だくでの作業でございました。
それに、同じく汗だくになって、
2時間近く無償で立会うケアマネですが、
これには意外と皆様、
関心を持たれないようであります( 涙)。
エアコンが嫌いな高齢者は、
むかしに比べると随分と少なくなりましたが、
ヘルパーさんがエアコン設定して退室すると、
リモコンを探すよりも、
脚立を持ってきてコンセントを抜いてしまうのてすから。
室温管理もなかなか難しい訳であります。
地域の高齢者宅の室温管理が、一括でできないかなあ、
と無謀なことを考えたひと夏でした。
(Nセンス)
『忸怩たる思い−jikujitaru omoi− vol.28』2023.10.
半袖の人とダウンジャケットの人が混在する、
暑いか寒いかはあなた次第といった季節となりました。
ファミコン版「グーニーズ」のBGMを聞き、
あまりの懐かしさに、感涙に咽ぶNセンスです。
他ににも好きだった「ツインビー」や
「ドルアーガの塔」「ドラクエⅡ」の
復活の呪文を入力するところとか、
何かのランキングで神曲入りしてましたね。
3音の世界ですから。いや、素晴らしい。
さてコロナ支援も尽き、
いよいよ介護事業所の倒産件数が過去最多です。
事業所が減って、サービス供給量が減れば財源も助かりますから、
行政としては万々歳でしょう。
「保険料支払ってサービスなし」の時代へ突入です。
「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」
とは、二宮尊徳の言葉として内村鑑三先生が唱えたようですが、
まさに介護事業を続けていく上での真実であります。
コロナ禍の7割営業の負債を取り返すことは、容易ではありません。
感染症対策や自然災害対策以前に、別次元の防衛策を考える毎日です。
茂みのなかで息を潜め、命懸けで戦う異国の兵士を想いつつ。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.25』2023.7.
近頃スーパーで買物をしていると、
なぜか禿げ白髪のおじいさん方に
目が行くNセンスです。
父が八十になったと聞き、
自分も確実に老いていくことを
どこかで実感しているからでしょうか。
さすが、と感心するようなマナーのいい人もいれば、
この年まで何も学ばずに生きてきたのかと、
がっかりするような人もいます。
自分は、果たしてどんな老人になるだろうと、
ぼんやり想像してみたりします。
しかし自然災害やコロナ禍、
いつまでも終わらない戦争などを見ておりますと、
クラスメイトではないですが、
仲のいい人もそうでない人も、
立派な人もかわいそうな人も、
とにかく地域のみんなで助け合って、
仲良く暮らそうよ、と思うようになりました。
6月から「 Odai-marche」と称して、
事業所の前にキッチンカーやお花屋さんを
お招きしておりますが、
今まで接点のなかった方々が立ち寄ってくださり、
実に不思議な光景です。
経理の先生や社員から様々な知恵をいただき、
いろんなことを学びながら、
いろんな方と知り合うことになりましたが、
何より感ずることは、
地域の持っている力は、
まだ計り知れないということであります。
地域福祉は街づくりから。
何となく笑顔が増えるような、
そんな取り組みからはじめていきたいと
思うこの頃です。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.24』2023.6.
今年に入って、
いつ頃からか脳裏に「宮沢賢治」が
棲み着いておりますNセンスです。
きっかけは、最近の映画「銀河鉄道の父」ではなく、
25年前の映画「タイタニック」の3Dリマスター版が
出たという報道だったと思います。
ご存知の方も多いと思いますが、
「銀河鉄道の夜」には、タイタニック号の遭難が
素材となっている部分があります。
実際の事故があった当時、
宮沢賢治は15歳だったと言いますから、
作品に書くのは、それから数年後ということになります。
そんな訳で、映画「タイタニック」を
いまだに見たことがない自分などには、
タイタニック号と言えば「銀河鉄道の夜」を思い出す訳です。
ちなみに事故の生存者である唯一の日本人、
細野さんの孫にあたる方がYMOの細野晴臣さんで、
アニメ映画「銀河鉄道の夜」の音楽を担当したという
奇跡も起こりました。
さて、脳裏にあったものというのは、
かの有名な手記「雨ニモ負ケズ」の後半のくだりでした。
「東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ」
自分自身がどうあるべきか、という理想のなかで、
具体的な行動を示した部分になります。
特別な人でなくても、誰にでも出来ることはある。
これは、地域福祉の原点であるように思えます。
いつしか、自分に出来ているだろうかと、
戒めのように考えておりました。
自分たちも経営的に決して楽ではありませんが、
そんな時こそ地域で困っている人のために奔走しようと、
改めて思うこの頃であります。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.23』2023.5.
バイデン大統領が御年80歳で再選に意欲との報道に、
なぜかドリーファンクJrを連想してしまいますNセンスです。
大国のリーダーが皆70代になりますが、威厳があり過ぎて、
周りが止められないというのは問題ですね。
自国民の責任です。
さて対話型AIなどというものが話題になっておりまして、
長らく経済低迷の日本は、
これを一筋の光明と見ているようです。
どれほど実用的になってくるのか、
自分などには想像もつきませんが、
小説や俳句までAIで出来てしまうとなると、
価値も変わってしまうのだろうと、
未知の危惧を覚える訳であります。
一方ではマイナンバーカードも、
今頃になって強引に実用化に向けて動いています。
全く使わずして更新時期を迎える自分などは、
もう更新はやめようとも考えていました。
新型コロナのCocoaも削除しましたが、
国の推進するものが、100%失敗するのはなぜでしょうか。
自分で稼いだお金ではないからでしょうか。
投資先を間違えていないかと、いつも疑念が過ります。
しかしまた、
国が悪い、ロケーションが悪いと言い始めると、
自分自身が全く進歩しません。
「人生に起こる出来事は、全てあなたの心が引き寄せたことです」
かの経営の神様に、そう言われているような気がします。
今は黙ってエルボースマッシュを打ち込み、
粛々とバックドロップの機会を窺っていきたいと思います!
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.22』2023.4.
毎年恒例、
この時期は坐骨神経痛に苦しんでおりますNセンスです。
7度以上の気温差が影響するとか、何かで読みましたが、
あるいは単なる太り過ぎでしょうか。
先月は何といってもWBCでしたね。
言葉にするのは簡単ですが、
大きな勇気と感動をいただきました。
試合内容については話が尽きませんが、
佐々木朗希くんが3.11にWBCのマウンドに立つなんて。
当時被害にあった9歳の少年が、です。
勝ち負けなんてどうでもいいじゃねえか、
もう勘弁してくれ、というほど泣きましたね。
それからヌートバー。
タツジはおじいさんの名前をもらったとか。
熱いプレーで湧かせましたが、
彼も二年前のマイナーリーグ時代、
コロナで全試合中止となって、
やむなく整備工として週6日働いていたそうです。
あのプレーからは信じ難い話ですが、
その時の経験で、
「もう野球の文句は言わない」と心に誓ったと言います。
諦めない。
村上も大谷も、あの全員が、
諦めなかった若者たちなんだと感じました。
我々も今、何回かの裏の攻撃のような気がします。
一振りで決めたいところですが、
それが無理となれば、みんなで繋いでいくしかありません。
バントでも盗塁でも、あらゆる技術を駆使して、
サヨナラと行きたいものです。
諦めない。
ニッポンダイスキ、アリガトー!
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.21』2023.3.
先月、漫画家の松本零士さんが旅立たれ、
哀しみに沈んでおりますNセンスです。
自分は「銀河鉄道999」のアニメを見ていた世代になりますが、
当時は深いテーマなど分からず、
鉄郎少年の目線で、ある種の怖さにつられて見ていました。
どの星に行っても、待っているのは辛くて悲しい出来事ばかり。
楽しいことなど、ほとんどありません。
そして機械の身体を手に入れるための旅の終わりで、
鉄郎少年は「命に限りがある意味」をようやく理解します。
どこにでもいる少年が、おそらくは人間ではない、
時々冷酷な一面を見せるメーテルや車掌さんらを信じ、
様々な星の住人の暮らしに戸惑いながら、
真っ暗な闇の中を旅する物語。
まさに人生そのものです。
気がつけば、この星にもおかしな住人たちが溢れています。
国家という名の反社会勢力。
評論家という名の傍観者。
宗教という名の特殊詐欺。
愛国心という名の隣国侵略。
我々はもっと冷静になり、澄んだ目で事実を見抜く力が必要です。
介護業界はどうでしょうか。
デイサービスの46%が赤字でした。
ヘルパーさんのあかぎれた手を見てください。
政策を考える皆さん、これが事実です。
湧き上がる感情を、野沢雅子さんの声とともに、
哀悼の意を込めまして叫びたいと思います。
皆様、ご唱和ください。
「メーテル!」
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.20』2023.2.
お寒うございます。
鍋料理やお風呂の温かさに、改めて感謝しておりますNセンスです。
コロナ禍の不景気も久しく、電車内の広告を眺めましても、
人転がしの転職サイトだけは隆盛で、
薄毛治療の隣は脱毛サロンの広告と、
何とも寒々しい世情でございます。
介護業界も、常に誰かしら陽性者、濃厚接触者が休んでいる状態で、
縮小営業では売上が低迷したまま。
瀕死の状態であります。
先進国と比較して、長らく日本だけが所得が上がらないというグラフを、
この一年で随分見るようになりました。
しかし人口減少している日本が進むべき方向は、
もはやそこではないような気もします。
母国語で大学まで行ける国は日本くらいだと言いますし、
こんな小国ながら、世界トップレベルのものがまだ沢山ある訳です。
過去の景気は忘れ、幸福感のある生活が送れるよう、
自分たちもまだまだ頑張らなくてはいけないと思うこの頃であります。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.19』2023.1.
新年おめでとうございます。
昨年は、バッターボックスに入ったものの、
数打席連続で見逃し三振をしてしまった気分のNセンスです。
お歳暮のお返しのごとく、
新潟の親父から地酒が多量に贈られてきたのですが、
コロナのダメージでまだ酒はあまり飲めないと説明しているにも関わらず、
「少しずつ飲むといい」というようなことを言います。
どうも話していると、酒=薬という観念があり、
風邪のひき始めは卵酒を飲み、
寒いと言っては暖まるために燗酒を飲むという習慣で、
やはり新潟県人はどうかしてると家内などには呆れられている訳ですが、
いよいよそういった文化の中で生きてきた親父が、
心配にもなって参りました。
そういえば高校生の時分、
空手道場に通う小さな男の子が、
首に長ネギを巻いて練習に励んでおり、
驚愕したことを思い出します。
確かに長ネギの成分に効果はあるらしく、
周りは「可愛らしい」などと長閑なことを言っておりましたが、
自分は甚だ疑問であり、
その子の親御さんが少し心配になりました。
世に騒がれている「二世問題」とは質が異なりますが、
親の教えというものを、
子どもはどこかで断ち切らないとまずい場合がある、
ということをつくづく思う訳であります。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.18』2022.12.
サッカーワールドカップで、
日本が強豪ドイツ、スペインに勝利したことで湧くさなか、
ついに新型コロナに感染してしまい、今もなお苦しんでおりますNセンスです。
子どもの通い先でクラスターが出たのですが、
休みとなった翌日に発熱、検査結果を受けた翌日には家内も発熱しまして、
諦めず別室で休んでいた自分も翌朝には発熱。
一家全滅と相成りました。
時々「いてー」と叫びたくなるような頭痛関節痛、
トイレに行ってくるだけで数キロ走ったような疲労感、
何度解熱剤を飲んでも38℃という状況でしたが、
4日を過ぎて、ようやく体温も安定してきました。
いろんなものが少しずつ食べられるようになって気づくのですが、
味は多少感ずるものの、においが全く分からない!
この3年近く、警戒し、
逃げ回ってきたコロナ禍というものをぼんやりと省みました。
するとそこへ、堂安律選手の強気な発言が聞こえてきます。
「もちろんそんなことはない、
でも、おれがいちばんだと思い込んでピッチに立ちます」
ボクサーも、怖い気持ちを抑え込む過程での強気の発言だと言われます。
サッカーやラグビーなど、特に気持ちで押されては負けなんでしょうね。
自分も空手の試合の時、
相手を仕留める気持ちでいけと言われたことを思い出しました。
コロナですっかり弱ってしまったけれど、
これまでだって、何度も腹を括ってやってきたじゃないか。
まだ出来ることはある。
若い選手に励まされたように思いました。
あっという間の一年。来年は反撃に出るぞと誓う一方では、
世界の平穏を祈っております。
今年もお世話になりました!
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.17』2022.11.
現役の野球中継も見ないくせに、
いまだ落合の「神主打法」を分析して喜んでおりますNセンスです。
落合氏との対戦を、江川卓氏が動画で語っておりました。
「インハイ(内角高め)のすごいいいボールだったんです。
ミットに入る10cm手前で、あ、振り遅れたって思った瞬間に、
落合さんがスパーンって打つんですよ。
で、僕はレフトを見たんです。インハイですから。
そしたらボールはライトスタンドに入っていたんです。
それで僕は3日悩みました」
これぞ落合のバッティング、鮮明にその姿が浮かびます。
短い表現ながら、落合氏の特徴が詰め込まれています。
これを見て、自分は志賀直哉氏の「沓掛にて」を思い浮かべました。
芥川龍之介との交流について、記憶を辿った短い文章に、こんな一節があります。
「芥川君は吾々仲間が互に交わすお辞儀よりは叮嚀なお辞儀をした。
長い髪が前へ垂れ、それをまた手でかき上げた。
吾々は野人で、芥川君はいかにも都会人らしかった。
芥川君は腹下しのあとで痛々しいほど、痩せ衰え、
そして非常に神経質に見えた。」
まざまざと芥川氏が蘇ります。
言い得て妙、まさに的確にその人を現す描写は、感動さえ覚えます。
介護には記録がつきものですが、大袈裟ではない、
的確な表現をしたいと常々思うのであります。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.16』2022.10.
虫の音の響く静かな夜。
予約していたエアウィーヴが届き、
気分だけは浅田真央ちゃんなNセンスです。
以前マットを換えた時に、
日によって身体がバキバキに痛くなったことがありましたが、
やはり無意識に身体に力が入って筋肉痛になるとか、
寝返りが減って身体が痛むとか、
あるらしいですね。
暫くすると慣れるようですが。
利用者さんがマットを換えて、
違和感を訴えられるのも解ります。
日本の女性は世界的に見ると、
睡眠時間が短いようです。
一方で気になるのは、
世界と比較して自殺率が高いということ。
因果関係は判りませんが、
脳を休めた方がメンタルには良いように思われます。
若い頃は、
枕やマットの硬さなどそれほど気にしなかったのですが、
質の良い睡眠をとるということは、
とても大事なことのようです。
という訳で、どんなに課題が山積していようとも、
とにかく早く寝たいと思います!
ああ、寝るって素晴らしい!
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.15』2022.9.
近所のスーパーの棚から
消えて久しい「チーアー」こと「チーズアーモンド」が、
先日さりげなく復活していたことに、
ささやかな享楽を覚えておりますNセンスです。
しょうゆ煎餅との「三味一体」が絶妙なんですよね。
三幸製菓バンザーイ!
ある夕方、
訪問調査の記録を書いておりましたら、
不意に涙が込み上げてきました。
仕事をしながら、
旦那さんの介護とお子さんの世話でまめまめしく動いていた方。
二十年近く担当させていただくなかで、
入院して手術をして、
もう自宅には戻れないかも知れないと思ったこともありましたが、
まだこうして何度目かの調査票を書いていることに、
数年前には感じられなかった、何か重みのようなものを覚えました。
先日は、やはり二十年近く担当させていただいた方が、
自宅で最後の時を迎えられました。
自分なりに思い悩んだこと、笑ったことなどが思い返され、
何とも言い表せない感情を懐きながら、
次々と舞い込んでくる課題に、
待ったなしで取り掛かる毎日です。
こういう時代に、
いかにして介護という事業を存続させ、盛り上げていくか。
多少の荒波に負けることなく、
見定めた方向へ進んでいきたいと思います。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.14』2022.8.
お暑うございます。
ジャッキー・チェンの酔拳Tシャツなど買って、
ささやかな享楽に浸っておりますNセンスです。
選挙期間中に起きた、安倍元総理の衝撃的な事件。
それは組織的な犯罪ではなく、個人的な怨みからの犯行、
そして手造りの銃だったということもまた衝撃でした。
一方で、
「特定のある宗教団体」には蓋をされるのかと思いきや、
連日の報道で広く紹介されるに至りました。
弁護士らの話では、
一旦狙いを定めるとチームでがんじがらめにするようで、
普通の人は逃げられないと言います。
自分も十代の頃、街で募金をしたことをきっかけに、
しつこい訪問を受けるようになり、
自己啓発セミナーに誘われたことなどありましたが、
よく断りきれたと思います。
自分の好きな分野の話などを興味津々に聞いてもらえると、
あやしい連中と思いながらも気分が良くなるもので、
田舎から出てきたばかりの自分など
簡単に騙されてもおかしくなかったと振り返ります。
過去に何人かの友人から勧誘を受け、
その度に何とも言えない、切ない思いになりました。
悪意がないというのは、本当に怖いことです。
このような社会の構図を、
どれだけの方が理解できているのか、
甚だ不安であります。
そして昨年の夏を上回るBA.5の横行。
終戦の夏、異国の戦禍。
眩しい太陽を睨みながら、うなぎを喰らう人生の某日なり。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.13』2022.7.
高齢者も歩きスマホをする時代。
耳掛け式補聴器はマスクとバッティングするため、
耳穴式補聴器にしているのかと思いきや、
ワイヤレスのイヤホンだったりして。
ペイペイで支払いをしている高齢者に溜め息ロカビリーなNセンスです。
先月の井上尚弥選手の試合。
ご覧になった方には説明無用ですが、その強さに驚きました。
自分は熱狂的ボクシングファンではありませんが、
空手やキックボクシングの間合いかと思うような距離のとり方をするし、
スローで見るとパンチを当てた時、両足が浮いていたりと、
とにかく驚くことばかり!
歴代チャンピオンのある解説では、
背筋や脹脛の鍛え方、パワーもスピードも当て勘も素晴らしいが、
いちばん凄いのは謙虚なことだ、と。
セコンドについているお父さんが厳しい方のようです。
手のつけられない不良が
ボクシングで更生していく「あしたのジョー」モデルはそこになく、
幼少時からの高い目標設定のために、
非常識レベルな努力をしていることを自覚していない、
とも言われます。
試合後に、相手のドネア選手が井上選手の耳元で「アリガトウ」。
思わず涙が込み上げました。
大谷翔平、松山英樹、井上尚弥。
謙虚に分析をして勝ちにいく若者の快挙は、
新しい日本の強さのような気がします。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.12』2022.6.
訳あって事務所で預かっているイシガメの前脚に、
褥瘡のような傷を見つけたため、
「特指示」と称して連日イソジン処置を
続けておりますNセンスです。
戦時下の爆音を聞きながらも、
生活のためにカフェ店を開ける市民の様子など見ておりますと、
人間の逞しさとともに、
「憩う場所」の必要性を改めて感じます。
戦争の危機感とは全く異なりますが、
コロナ禍でのデイサービスなども、
こういう時だからこそ継続が必要だと痛感します。
インターネットやドローンの軍事的開発然り、
競い合うことが人類の宿命ならば、
戦争が起きないような仕組みを再構築することも
また宿命であろうと思います。
大人の事情で殺し合うというなら気がすむまでやればいい、
しかし子どもや小動物には全く関係のないことで、
地球は人間だけのものではないと、
イシガメを眺めながら思う毎日であります。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.11』2022.5.
自宅近くのスーパーに、
キリンラガービールがないことに気づき、
一番搾りやスプリングバレー、
プレモルやレモンサワーなどにうつつを抜かしていた自分を、
夏を前にして激しく悔いておりますNセンスです。
先日数年ぶりに都電に乗る機会がありまして、
車輌後部に身を置き、
慌ただしい日常が嘘のようだと感じながら、
窓辺に凭れてツツジの眩しい沿線を眺めておりますと、
ノスタルジックな街並みが流れるにつれ、
忘れていた自身の原風景と言いますか、
手塚治虫先生の「雨ふり小僧」のごとく、
強烈な反省を促され、
何かに謝りたい気持ちでいっぱいになりました。
相田みつをさんの言葉を借りるならば
「おれが悪かった」の一言に尽きます。
佐々木朗希くんの完全試合ではないけれど、
戦後風情や人間愛を大切にする人々に直球で完封され、
絶句しました。
いかした歌詞に出てくる「愛すべき〜」という意味が、
これまでちょっと何を言っているのか判りませんでしたが、
「愛されて然るべき」という意味であるならば、
まさにこの地域は絶対にいじめてはいけない存在、
まるごと「愛されて然るべき」だな、
という思いに至りました。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.10』2022.4.
気温の高低を繰り返しつつ、
桜の蕾も膨らむ陽春三月、
オミクロン株の横行に振り回されながら、
久しぶりの強い地震に怯えれば、
21世紀とは思えない異国の戦況と、
その最中でのパラリンピック。
何ともめまぐるしい春を、
いかがお過ごしですか、Nセンスです。
ここで語るには足りない、
しかし触れない訳にはいかないウクライナの惨状。
そして選挙が操作される国、
報道が規制される国、
という恐ろしさを今回痛感しました。
某国暴君の抑止のための核兵器、
という肯定論がありますが、
大国が核をちらつかせて侵略してくるのですから、
もうその理屈は通用しないように感じます。
やはり大金をかけて保持すれば、
それを用いたくなる。
いくら戦争反対と叫んでも、強引に攻め込まれたら、
きっと自分だって武器を手にするに違いない。
すると日本にも核が必要だという議論になる。
人間とは愚かなものです。
井上陽水ではないけれど、
「だけども問題は今日の雨」。
オミクロンの影響でスケジュールが成り立たず、
売上半減している状況を、
何とか乗り越えなければならず。
日々の仕事と家庭のバタバタとで、
異国の惨状に何が出来ようかと苦悩する毎日であります。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.9』2022.3.
「悪魔将軍」のエコバッグを下げて歩く買物帰り、
同世代だけが「おおっ」という感じで振り返るのを見て、
ささやかな享楽を覚えておりますNセンスです。
世代といえば、
自分たちは「ドラクエ世代」などとも言われておりまして、
平野啓一郎氏の「日蝕」が芥川賞を受賞した時、
「ドラクエ世代の、行きて帰りし物語」などと
評されたことを思い出します。
さて、コロナ感染症との戦いも、
内服薬が市場に行き渡るまで、
あと一年くらいはかかると言われています。
コロナ禍が始まった当初の見込み通り、
感染者数は増えたり減ったりを繰り返しつつ、
デルタ、オミクロン、その次と、姿を変えてやってくる訳です。
ドラクエのラスボス「りゅうおう」を倒すためには、
回復の呪文「ベホイミ」が必須です。
一撃を加えては「ベホイミ」を繰り返し、
持久戦で倒す訳ですが、
これが何だかコロナ感染症との戦いと
似ているような気がしてなりません。
「感染症対策」だけでは1円にもならない、
しかしそれを怠れば命とり。
我々は「ベホイミ」を唱えながら
「ロトのつるぎ」を振るわなければならない訳です!
ドラクエ世代ならではの、こじつけですな。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.8』2022.2.
オミク論のうっぷんを晴らすべく、
正月はカニだイクラだカズノコだ、
え!そらにたこか?(知る人ぞ知る呪文です)
と贅沢の限りを尽くし、
体重が気になるNセンスです。
周囲の勧めもあり、
この正月はテレビ番組「孤独のグルメ」を視聴しました。
松重豊さん演じるゴローさんが、
ただ飯を喰うだけのドラマですが、
これが実に滋味があって滑稽。
たとえば元旦の回は「アジフライ定食」で、
初めは醤油でひとかじり、
次はソース、その次はレモン汁とタルタルで、
白米を頬張る訳です。
漫画原作者の久住さんは、
「食べ歩きはしない」と言います。
目的地が決まってしまうと、
そこを目掛けて一直線になるので、
周りの景色や店などを楽しめないから、
だそうです。
なるほどドラマは、毎回商談のシーンからはじまり、
店を探す道中、メニューを眺めながら悩むシーンまで、
じっくり描かれます。
往年の東海林さだおさんや嵐山光三郎さん、
椎名誠さんなどが彷彿されますし、
鉄道分野では「阿呆らしさ極まって襟を正す」の名句を読んだ
宮脇俊三さんも思い出しますが、
実にバカバカしくも、
反面、人生を強く肯定して疑わない姿勢に、
生きる勇気をもらいます。
孤食、黙食と言われる時代。
スーパーやコンビニの弁当でも静かに向き合い、
感謝しながらいただきたいと思います。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.7』2022.1.
新年おめでとうございます。
おかげさまで、弊社も21年目に突入でございます。
昨年同様、新型コロナによる不安な幕開けですが、
対策疲れがボディブローのように効いてきて、
ただガードしているだけでは、
この苦難を乗り越えられない気もしております。
では攻める、といっても何をどうすればいいのか。
いま一度、変えられるものと変えられないものを
整理する必要があります。
例えば介護者は減り、要介護者は増える。
これは現実として避けられませんから、
介護専門職としては、
業務範囲をしぼる必要が出てきます。
改革案に違和感を覚える人もいるとは思いますが、
今年は、そんな思考改めの一年になりそうです。
何卒、宜しくお願い申し上げます。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.6』2021.12.
プレイリストで、自分だけのビートルズベストを作って喜んでおります、
Nセンスです。
名曲ばかりで悩ましいのですが、
昔から自分は「イエローサブマリン」が好きで外せないんですよね。
浮いているので、どの曲の間に挟むべきか迷います。
リンゴ・スターの、とぼけた感じの歌い出しがたまらないですね。
子ども向けにしては、完成度の高さに唸ります。
一日の新規感染者数が漸く一桁になってきたところで、
やはり出てきました変異株。
今度は「オミクロン株」だそうです。
解ってはいるつもりでも、
元の生活習慣には戻れないのだなと思うと、哀しいですね。
小さいお子さんからご高齢の皆さんまで、
一様にきちんとマスクをつけて、日本人は偉いなあと思いつつ、
年明けからは、水際対策を越えてくるであろう変異株に備える日々が、
また続くことになりますな。
元に戻れないならば、哀しんでいても仕方がない。
次のステージに進まなければなりません。
気がつくと「イエローサブマリン」など聞きながら、
東京駅の人混みのなかを、年甲斐もなく腕を振って歩く自分がいます。
皆さんにとって、来年が良い年でありますように。
今年も一年、ありがとうございました!
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.5』2021.11.
遅くなった日の帰り。
バスも終って、タクシーも人が並んでいるため、
久しぶりに歩く静かな夜道。
「里の秋」や「竹田の子守唄」など聞きながら歩いておりますと、
この世は案外幸せだなぁと感慨に浸りました。
皆さんいかがお過ごしですか、Nセンスです。
昨年からの自粛生活が祟り、
身内がうつで精神科に入院しまして、
実に慌ただしい夏の終りでしたが、
なぜか知り得ている心象風景で、
周囲に迷惑をかけながらも、
自分自身は大きな負担を覚えることなく過ごすことができました。
若い頃に読んだ、安岡章太郎の「海辺の光景」や、
宮本輝の掌編「小旗」などを思い浮かべましたが、
ともに自分の好きな小説で、
どちらも精神病院にいる家族に会いに行く話だったことを思い返しました。
小説など何の役に立つのかと、
理系の人には思われるかも知れませんが、
こうして実際に経験してみると、
既視感というか人生観というか、
経験値にはなっているのかも知れないと感じました。
コロナ禍で家庭環境も変化し、子どもの自殺が増えたと言われています。
子ども食堂ではないけれど、
アンパンマン的に空腹の子どもに何か食べものと、
ひとつの憩いの場所くらい提供できないかなぁ、
などと考えるこの頃です。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.4』2021.10.
9月に入った途端、雨と残暑の乱れ打ち。
コロナ陽性者は急速に減り始め、何だかおかしな秋の訪れですね。
いかがお過ごしですか、Nセンスです。
毎朝6:30のバスで一緒になる、小学1〜2年生と思われる男の子が、
大きな鞄を背負って、大人たちの合間を駆け抜け、
むさくるしい電車に乗り込む後ろ姿。
遠くの学校に通うということは、余程優秀なんでしょうが、
鬼ばかりの世間に、送り出す親御さんも凄いなあと感心。
思わず何か声をかけたくなるのですが、
変人と思われないよう、声掛けは我慢。
無事に学校へ通えるよう、見守る無名の一員でいようと思います。
自分も、そういった見知らぬ人々に見守られて来たのだろうと、
今更ながら鬼ばかりの世間に感謝。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.3』2021.9.
いろんな店の麻婆豆腐を食べたものの、
やっぱり家で作る「丸美屋の素」を使った麻婆豆腐が一番うまい、
母の初めての麻婆の味であり、
もはや実際に美味しいかどうかは関係ない!
などと感じる今日この頃。
皆さんはどこの麻婆がお好きですか、Nセンスです。
6月頃に見えた光は幻だったのか、とさえ感じるデルタ株の横行。
最後のひと踏ん張りとどこかで思っていましたが、
完全に見立てが甘かったようです。
マスク生活はまだまだ続くとは思っていましたが、
今まさに医療崩壊の真っ只中とは…。
となると、さらに変異したウィルスが現れ、
また次の波が来るということですね。
やはり予告した上で、
全国一斉に2週間だけ交通機関を止めるしかないんじゃないですかね。
何もしなければ、出口は見えてきません。
つい、評論家にもなります。
この夏も、日本の光景とは思えないほどの豪雨と土砂災害がありました。
高校野球をドームで、の議論ではないけれど、
地球上の人類は皆、ドームの中に街をつくって、
そこで暮らすようになると想像しているのですが。
まるでSF小説ですな。
とにかく、皆さんの健康を祈願するのみです。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.2』2021.7.
モーツァルトのト短調を聴きながらの家路。
壮絶なる哀しみをメロディーに込めるなんて、凄いですね。
ああ、これを聴くだけでも生まれてきた甲斐があったなぁ、
としみじみ感じ入る今日この頃。
皆さんいかがお過ごしですか、Nセンスです。
しかしコロナ感染、減りませんね。
自分もおかげさまで2回のワクチン接種を終え、
2日連続で39度の熱が出てサンキューといったところでしたが、
これは何か別の対策をしないと減りませんね。
電車とバスを止めるくらいしないと。
やっと光が見えてきたと思っていたのですが、
デルタ株というやつは、余程対策していても広がるようです。
そんな中、オリンピック開催当日もなお、
中止を呼び掛けるために密になって叫ぶ方たちもいれば、
昨日まで開催に批判的だった報道の方たちが
金メダルに熱狂という状況。
これが流行の「多様性」というものなのでしょうかね。
参りました。
駅の階段で、思わずカナブンの死骸を踏みそうになり、
真夏の訪れを感じた次第。
雑多な日々の感情も、
モーツァルトの調べで集約されることを願いつつ。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.1』2021.6.
「妻には涙を 見せないで
子供に愚痴を きかせずに
男の嘆きは ほろ酔いで
酒場の隅に 置いて行く」
(「時代おくれ」歌:河島英五)
久しく居酒屋にも行けておらず、
ハケ口のないこの頃、
皆さんいかがお過ごしですか、
Nセンスです。
自分が少年野球をやっていた頃は、
眩暈のするような暑さの中でも、
水一滴さえ口にしてはいけないと言われ、
ボールを拾いに行くふりをして、
我慢できずに隠れて水を飲んだら、
鬼コーチに意識が飛ぶほど殴られた時代でした。
今、そんな感覚で子どもに接したら、
間違いなく問題になりますが、
時代が変わったのだとどれだけ自覚できているか、
甚だ疑問です。
お笑い第7世代と言われる方々は、
パンチは足りない感じもしますが、
震災後やコロナ禍の空気をよく掴んでいて、
トゲのない笑いを提供してくれます。
自分と同世代の人間は、
少し考えを変えないと、
上手くはまりません。
高級車にもワンレンボディコンにも、
興味はありませんでしたが、
「ハシゴ外され世代」と「デジタル世代」の狭間の、
「混在世代」と言えるかも知れません。
時代についていけないなあと嘆きながら、
それでも時代の波に流されていく、
新章の始まりです。
(Nセンス)