ースタッフ日記ー
Season3
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.12』2022.6.
訳あって事務所で預かっているイシガメの前脚に、
褥瘡のような傷を見つけたため、
「特指示」と称して連日イソジン処置を
続けておりますNセンスです。
戦時下の爆音を聞きながらも、
生活のためにカフェ店を開ける市民の様子など見ておりますと、
人間の逞しさとともに、
「憩う場所」の必要性を改めて感じます。
戦争の危機感とは全く異なりますが、
コロナ禍でのデイサービスなども、
こういう時だからこそ継続が必要だと痛感します。
インターネットやドローンの軍事的開発然り、
競い合うことが人類の宿命ならば、
戦争が起きないような仕組みを再構築することも
また宿命であろうと思います。
大人の事情で殺し合うというなら気がすむまでやればいい、
しかし子どもや小動物には全く関係のないことで、
地球は人間だけのものではないと、
イシガメを眺めながら思う毎日であります。
(Nセンス)
-Archive-
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.11』2022.5.
自宅近くのスーパーに、
キリンラガービールがないことに気づき、
一番搾りやスプリングバレー、
プレモルやレモンサワーなどにうつつを抜かしていた自分を、
夏を前にして激しく悔いておりますNセンスです。
先日数年ぶりに都電に乗る機会がありまして、
車輌後部に身を置き、
慌ただしい日常が嘘のようだと感じながら、
窓辺に凭れてツツジの眩しい沿線を眺めておりますと、
ノスタルジックな街並みが流れるにつれ、
忘れていた自身の原風景と言いますか、
手塚治虫先生の「雨ふり小僧」のごとく、
強烈な反省を促され、
何かに謝りたい気持ちでいっぱいになりました。
相田みつをさんの言葉を借りるならば
「おれが悪かった」の一言に尽きます。
佐々木朗希くんの完全試合ではないけれど、
戦後風情や人間愛を大切にする人々に直球で完封され、
絶句しました。
いかした歌詞に出てくる「愛すべき〜」という意味が、
これまでちょっと何を言っているのか判りませんでしたが、
「愛されて然るべき」という意味であるならば、
まさにこの地域は絶対にいじめてはいけない存在、
まるごと「愛されて然るべき」だな、
という思いに至りました。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.10』2022.4.
気温の高低を繰り返しつつ、
桜の蕾も膨らむ陽春三月、
オミクロン株の横行に振り回されながら、
久しぶりの強い地震に怯えれば、
21世紀とは思えない異国の戦況と、
その最中でのパラリンピック。
何ともめまぐるしい春を、
いかがお過ごしですか、Nセンスです。
ここで語るには足りない、
しかし触れない訳にはいかないウクライナの惨状。
そして選挙が操作される国、
報道が規制される国、
という恐ろしさを今回痛感しました。
某国暴君の抑止のための核兵器、
という肯定論がありますが、
大国が核をちらつかせて侵略してくるのですから、
もうその理屈は通用しないように感じます。
やはり大金をかけて保持すれば、
それを用いたくなる。
いくら戦争反対と叫んでも、強引に攻め込まれたら、
きっと自分だって武器を手にするに違いない。
すると日本にも核が必要だという議論になる。
人間とは愚かなものです。
井上陽水ではないけれど、
「だけども問題は今日の雨」。
オミクロンの影響でスケジュールが成り立たず、
売上半減している状況を、
何とか乗り越えなければならず。
日々の仕事と家庭のバタバタとで、
異国の惨状に何が出来ようかと苦悩する毎日であります。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.9』2022.3.
「悪魔将軍」のエコバッグを下げて歩く買物帰り、
同世代だけが「おおっ」という感じで振り返るのを見て、
ささやかな享楽を覚えておりますNセンスです。
世代といえば、
自分たちは「ドラクエ世代」などとも言われておりまして、
平野啓一郎氏の「日蝕」が芥川賞を受賞した時、
「ドラクエ世代の、行きて帰りし物語」などと
評されたことを思い出します。
さて、コロナ感染症との戦いも、
内服薬が市場に行き渡るまで、
あと一年くらいはかかると言われています。
コロナ禍が始まった当初の見込み通り、
感染者数は増えたり減ったりを繰り返しつつ、
デルタ、オミクロン、その次と、姿を変えてやってくる訳です。
ドラクエのラスボス「りゅうおう」を倒すためには、
回復の呪文「ベホイミ」が必須です。
一撃を加えては「ベホイミ」を繰り返し、
持久戦で倒す訳ですが、
これが何だかコロナ感染症との戦いと
似ているような気がしてなりません。
「感染症対策」だけでは1円にもならない、
しかしそれを怠れば命とり。
我々は「ベホイミ」を唱えながら
「ロトのつるぎ」を振るわなければならない訳です!
ドラクエ世代ならではの、こじつけですな。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.8』2022.2.
オミク論のうっぷんを晴らすべく、
正月はカニだイクラだカズノコだ、
え!そらにたこか?(知る人ぞ知る呪文です)
と贅沢の限りを尽くし、
体重が気になるNセンスです。
周囲の勧めもあり、
この正月はテレビ番組「孤独のグルメ」を視聴しました。
松重豊さん演じるゴローさんが、
ただ飯を喰うだけのドラマですが、
これが実に滋味があって滑稽。
たとえば元旦の回は「アジフライ定食」で、
初めは醤油でひとかじり、
次はソース、その次はレモン汁とタルタルで、
白米を頬張る訳です。
漫画原作者の久住さんは、
「食べ歩きはしない」と言います。
目的地が決まってしまうと、
そこを目掛けて一直線になるので、
周りの景色や店などを楽しめないから、
だそうです。
なるほどドラマは、毎回商談のシーンからはじまり、
店を探す道中、メニューを眺めながら悩むシーンまで、
じっくり描かれます。
往年の東海林さだおさんや嵐山光三郎さん、
椎名誠さんなどが彷彿されますし、
鉄道分野では「阿呆らしさ極まって襟を正す」の名句を読んだ
宮脇俊三さんも思い出しますが、
実にバカバカしくも、
反面、人生を強く肯定して疑わない姿勢に、
生きる勇気をもらいます。
孤食、黙食と言われる時代。
スーパーやコンビニの弁当でも静かに向き合い、
感謝しながらいただきたいと思います。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.7』2022.1.
新年おめでとうございます。
おかげさまで、弊社も21年目に突入でございます。
昨年同様、新型コロナによる不安な幕開けですが、
対策疲れがボディブローのように効いてきて、
ただガードしているだけでは、
この苦難を乗り越えられない気もしております。
では攻める、といっても何をどうすればいいのか。
いま一度、変えられるものと変えられないものを
整理する必要があります。
例えば介護者は減り、要介護者は増える。
これは現実として避けられませんから、
介護専門職としては、
業務範囲をしぼる必要が出てきます。
改革案に違和感を覚える人もいるとは思いますが、
今年は、そんな思考改めの一年になりそうです。
何卒、宜しくお願い申し上げます。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.6』2021.12.
プレイリストで、自分だけのビートルズベストを作って喜んでおります、
Nセンスです。
名曲ばかりで悩ましいのですが、
昔から自分は「イエローサブマリン」が好きで外せないんですよね。
浮いているので、どの曲の間に挟むべきか迷います。
リンゴ・スターの、とぼけた感じの歌い出しがたまらないですね。
子ども向けにしては、完成度の高さに唸ります。
一日の新規感染者数が漸く一桁になってきたところで、
やはり出てきました変異株。
今度は「オミクロン株」だそうです。
解ってはいるつもりでも、
元の生活習慣には戻れないのだなと思うと、哀しいですね。
小さいお子さんからご高齢の皆さんまで、
一様にきちんとマスクをつけて、日本人は偉いなあと思いつつ、
年明けからは、水際対策を越えてくるであろう変異株に備える日々が、
また続くことになりますな。
元に戻れないならば、哀しんでいても仕方がない。
次のステージに進まなければなりません。
気がつくと「イエローサブマリン」など聞きながら、
東京駅の人混みのなかを、年甲斐もなく腕を振って歩く自分がいます。
皆さんにとって、来年が良い年でありますように。
今年も一年、ありがとうございました!
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.5』2021.11.
遅くなった日の帰り。
バスも終って、タクシーも人が並んでいるため、
久しぶりに歩く静かな夜道。
「里の秋」や「竹田の子守唄」など聞きながら歩いておりますと、
この世は案外幸せだなぁと感慨に浸りました。
皆さんいかがお過ごしですか、Nセンスです。
昨年からの自粛生活が祟り、
身内がうつで精神科に入院しまして、
実に慌ただしい夏の終りでしたが、
なぜか知り得ている心象風景で、
周囲に迷惑をかけながらも、
自分自身は大きな負担を覚えることなく過ごすことができました。
若い頃に読んだ、安岡章太郎の「海辺の光景」や、
宮本輝の掌編「小旗」などを思い浮かべましたが、
ともに自分の好きな小説で、
どちらも精神病院にいる家族に会いに行く話だったことを思い返しました。
小説など何の役に立つのかと、
理系の人には思われるかも知れませんが、
こうして実際に経験してみると、
既視感というか人生観というか、
経験値にはなっているのかも知れないと感じました。
コロナ禍で家庭環境も変化し、子どもの自殺が増えたと言われています。
子ども食堂ではないけれど、
アンパンマン的に空腹の子どもに何か食べものと、
ひとつの憩いの場所くらい提供できないかなぁ、
などと考えるこの頃です。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.4』2021.10.
9月に入った途端、雨と残暑の乱れ打ち。
コロナ陽性者は急速に減り始め、何だかおかしな秋の訪れですね。
いかがお過ごしですか、Nセンスです。
毎朝6:30のバスで一緒になる、小学1〜2年生と思われる男の子が、
大きな鞄を背負って、大人たちの合間を駆け抜け、
むさくるしい電車に乗り込む後ろ姿。
遠くの学校に通うということは、余程優秀なんでしょうが、
鬼ばかりの世間に、送り出す親御さんも凄いなあと感心。
思わず何か声をかけたくなるのですが、
変人と思われないよう、声掛けは我慢。
無事に学校へ通えるよう、見守る無名の一員でいようと思います。
自分も、そういった見知らぬ人々に見守られて来たのだろうと、
今更ながら鬼ばかりの世間に感謝。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.3』2021.9.
いろんな店の麻婆豆腐を食べたものの、
やっぱり家で作る「丸美屋の素」を使った麻婆豆腐が一番うまい、
母の初めての麻婆の味であり、
もはや実際に美味しいかどうかは関係ない!
などと感じる今日この頃。
皆さんはどこの麻婆がお好きですか、Nセンスです。
6月頃に見えた光は幻だったのか、とさえ感じるデルタ株の横行。
最後のひと踏ん張りとどこかで思っていましたが、
完全に見立てが甘かったようです。
マスク生活はまだまだ続くとは思っていましたが、
今まさに医療崩壊の真っ只中とは…。
となると、さらに変異したウィルスが現れ、
また次の波が来るということですね。
やはり予告した上で、
全国一斉に2週間だけ交通機関を止めるしかないんじゃないですかね。
何もしなければ、出口は見えてきません。
つい、評論家にもなります。
この夏も、日本の光景とは思えないほどの豪雨と土砂災害がありました。
高校野球をドームで、の議論ではないけれど、
地球上の人類は皆、ドームの中に街をつくって、
そこで暮らすようになると想像しているのですが。
まるでSF小説ですな。
とにかく、皆さんの健康を祈願するのみです。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.2』2021.7.
モーツァルトのト短調を聴きながらの家路。
壮絶なる哀しみをメロディーに込めるなんて、凄いですね。
ああ、これを聴くだけでも生まれてきた甲斐があったなぁ、
としみじみ感じ入る今日この頃。
皆さんいかがお過ごしですか、Nセンスです。
しかしコロナ感染、減りませんね。
自分もおかげさまで2回のワクチン接種を終え、
2日連続で39度の熱が出てサンキューといったところでしたが、
これは何か別の対策をしないと減りませんね。
電車とバスを止めるくらいしないと。
やっと光が見えてきたと思っていたのですが、
デルタ株というやつは、余程対策していても広がるようです。
そんな中、オリンピック開催当日もなお、
中止を呼び掛けるために密になって叫ぶ方たちもいれば、
昨日まで開催に批判的だった報道の方たちが
金メダルに熱狂という状況。
これが流行の「多様性」というものなのでしょうかね。
参りました。
駅の階段で、思わずカナブンの死骸を踏みそうになり、
真夏の訪れを感じた次第。
雑多な日々の感情も、
モーツァルトの調べで集約されることを願いつつ。
(Nセンス)
『忸怩たる思い ーjikujitaru omoiー vol.1』2021.6.
「妻には涙を 見せないで
子供に愚痴を きかせずに
男の嘆きは ほろ酔いで
酒場の隅に 置いて行く」
(「時代おくれ」歌:河島英五)
久しく居酒屋にも行けておらず、
ハケ口のないこの頃、
皆さんいかがお過ごしですか、
Nセンスです。
自分が少年野球をやっていた頃は、
眩暈のするような暑さの中でも、
水一滴さえ口にしてはいけないと言われ、
ボールを拾いに行くふりをして、
我慢できずに隠れて水を飲んだら、
鬼コーチに意識が飛ぶほど殴られた時代でした。
今、そんな感覚で子どもに接したら、
間違いなく問題になりますが、
時代が変わったのだとどれだけ自覚できているか、
甚だ疑問です。
お笑い第7世代と言われる方々は、
パンチは足りない感じもしますが、
震災後やコロナ禍の空気をよく掴んでいて、
トゲのない笑いを提供してくれます。
自分と同世代の人間は、
少し考えを変えないと、
上手くはまりません。
高級車にもワンレンボディコンにも、
興味はありませんでしたが、
「ハシゴ外され世代」と「デジタル世代」の狭間の、
「混在世代」と言えるかも知れません。
時代についていけないなあと嘆きながら、
それでも時代の波に流されていく、
新章の始まりです。
(Nセンス)